| 12世紀,部族間の争いが絶えないモンゴルで,小部族を率いるイェスゲイの息子テムジンは9歳にして未来の花嫁ボルテと将来を約束する.が,その矢先,他部族に父を毒殺されてしまう.後ろ盾を失い,かつての父の部下にも裏切られ逃亡生活を余儀なくされるが,少年ジャムカに救われ2人は兄弟の誓いを立てる.やがて成人したテムジンはボルテを妻に迎えるが,喜びも束の間,仇敵メルキト族に略奪されてしまう…. |
モンゴル帝国の太祖チンギス・カン(Чингис хаан)の青年期――幼名テムジン――を描いた歴史叙事詩,壮大な神話創成の物語である.旧ソ連圏の歴史学者レフ・グミリョフ(Lev Nikolayevich Gumilev)の説に依拠し,チンギス・カンの"空白の十年"を,架空の監禁生活として大胆に再構成している.グミリョフは,モンゴルの口承文学『元朝秘史』の記述から,テムジンが何年にもわたり投獄されていた可能性を指摘しており,これは一種の「歴史の裂け目」に生じた伝説生成の空白である.この空白を,監禁と自己対話の場として描くことにより,本作はカンを沈黙の中で自己を鍛えた哲人君主として描いた.
成長の場が,草原の光ではなく,無機質な荒地であるというのが象徴的である.モンゴル映画の文法において,しばしば用いられる「新緑と風」の詩的表現をあえて避け,乾いた大地に統一者の胎動を聴き取ろうとするこの構図は,詩的かつ政治的でもある.脚本作りの際,監督セルゲイ・ボドロフ(Sergei Bodrov)は,実際にモンゴル国内の伝承語り部(ウルチン)から多くの口述を収集している.彼らが語る草原の神話は,書き言葉にはならなかった声の記憶であり,そうした音の遺産が,随所に織り込まれたリズムや間の取り方に反映されていた.しかし,本作を真に特別なものにしたのは,テムジンを演じた浅野忠信の存在である.
配役は当初,大きな波紋を呼んだ.日本人俳優がモンゴル帝国の祖を演じる選択には,一部のモンゴル国内の保守層から反発もあったが,最終的に不安が払拭されたのは事実である.浅野は,線の細さや透明感という弱点をあえて隠さず,内省によって育まれる精神の強靭さという形で昇華させている.監禁中の瞑想,荒地での沈黙,そして出獄後のまなざし――力による支配ではなく,耐え抜くことによる敬意を体現したものであった.皮肉なことに,浅野はこの役を最後に,俳優としてのピークを越えてしまったように見える.受賞歴や国際的評価とは裏腹に,本作の時期を境に超然とした佇まいが失われた.
本作における浅野の演技には,あきらかに自己変容の儀式としての重みがあった.それはまるで,自らの精神の最高値を一度きりの演技に封じ込めてしまったかのようである.もちろん,これは推論にすぎない.しかし,観る者にこの人はもう戻ってこないのではないか,と思わせてしまうほどの演技が,俳優人生に奇妙な影を落としたのは確かである.歴史上の偉人を演じることの宿命なのか,それとも単なる巡り合わせか――いずれにせよ,この作品を観た後に最も尾を引く感想は,映画の出来そのものよりも,「かつての浅野忠信がそこにいた」という喪失感なのである.
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原題: MONGOL
監督: セルゲイ・ボドロフ
125分/ドイツ=カザフスタン=ロシア=モンゴル/2007年
© 2007 CTB FILM COMPANY/ANDREYEVSKY FLAG FILM COMPANY/X FILME CREATIVE POOL/KINOFABRIKA/EURASIA FILM.
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