■「愛についてのキンゼイ・レポート」ビル・コンドン

愛についてのキンゼイ・レポート [DVD]

 今から約50年前,性について語ることはタブーだったアメリカ.大学で動物学を教えるキンゼイ博士は,恋人との結婚や学生からの要望をきっかけに,人間の性の研究に着手.そのレポートを出版し,全米に一大センセーションを巻き起こす.一躍有名になるも,その衝撃的な内容から激しいバッシングにより事態が暗転する….

 虫学者アルフレッド・キンゼイ(Alfred C Kinsey)による「性に関する調査報告」――通称キンゼイ報告――は,アメリカの白人男女約18,000人の性行動を明らかにし,性科学の分野を開拓する契機となった.19世紀アメリカの保守的精神は,ビクトリア朝時代の禁欲的価値観を背景にしており,それに風穴を開けたのが,もともとタマバチの研究に従事していたキンゼイであった.膨大な聞き取り調査を基に,成人男性の3割・成人女性の2割が同性愛的傾向を持つこと,女性もマスターベーションをすることなどを報告し,社会に衝撃を与えた.当然ながら,道徳の欠如を批判する声があがったが,報告書は大ベストセラーとなった.しかし,キンゼイの手法が科学的な客観性を備えていたとはいい難い.

 調査対象が白人に限定されていたこと,全員がボランティアであったこと,女性の対象者は大学教育を受けた者が多すぎたことなどが批判されている.また,セックスに関する口述の信憑性も問題であった.被験者の羞恥心や緊張を考慮し,暗号化された質問方式を導入したものの,手法自体が幼稚で荒削りなものであったことは否定できない.キンゼイは,厳格な牧師である父のもとで育った.映画では,父親が日曜日の説教でセックスを堕落に直結する魔性の発明品と激しく非難し,それに対する恐れと不信感が少年キンゼイを支配していたと描かれる.青年期にキンゼイは父に反旗を翻し,勘当されながらも自らの道を進んだ.父子の対立は,当時のアメリカ社会における保守と革新の分断を象徴するものと解釈できるが,映画の描写はその意図を十分に伝えきれていない.

 性研究に没頭する契機として,妻クララとの初体験の失敗と,学生からの性的悩み相談による危機感を挙げている.しかし,助手との同性愛関係,妻の葛藤,研究への社会的批判の高まり,助成金打ち切り,父との和解といった重要な要素をすべて表面的に扱い,物語としての深みを欠いている.その結果,ドラマの底の浅さと消化不良感が残る.俳優陣には,キンゼイ役にリーアム・ニーソン(Liam Neeson),妻クララ役にローラ・リニー(Laura Linney)と実力派を揃えたが,特異な被験者のエピソードに不必要なほど時間を割きながら,物語の核心を掘り下げることができず,映画全体の輪郭をぼやけさせた.これでは,どのような逆風にも屈せず研究に情熱を注いだ科学者とその家族を描くには致命的である.

 キンゼイの人物像を掘り下げることなく,研究に対する苦悩や矛盾を描かないことで,結果として物足りない作品となってしまった.キンゼイは研究に没頭するあまりバルビツール剤に依存し,助手たちにはパートナーの交換セックスを奨励したが,その結果,妻を巡って争う助手たちの姿に動揺し,大いに悩んでいた.女性版の報告書を発表した1954年には研究資金を打ち切られ,失意のうちに2年後に亡くなっている.これらの事実を脚色せずにドラマ化することは難しいが,ほとんどを割愛しながらドラマ性を追求しようとするのは安易すぎた.その展開はまるで50年前のコメディのようであり,空回りするギャグセンスが痛々しい.無難にまとめた作品にドラマが宿ることはない.

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原題: KINSEY

監督: ビル・コンドン

118分/アメリカ=ドイツ/2004年

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