▼『ブラジャーで天下をとった男』北康利

ブラジャーで天下をとった男 ワコール創業者 塚本幸一

 世界有数の女性下着メーカーとして知られるワコールの創業者,塚本幸一.彼は太平洋戦争の激戦の中でもとりわけ悲惨なものとして知られるインパール作戦の生き残りであり,失った戦友たちへの思いを胸に,再びビジネスという名の戦場へと向かっていく.ベンチャースピリット溢れる豪快華麗な生涯を描きだす大型評伝である――.

 コール創業者塚本幸一が世界的ブランドに成長させた行動力と先見性の土台には,近江商人の理念に基づく「三方よし」――売り手,買い手,社会の三者が満足するビジネス――の考え方があった.塚本は柔軟な発想をもって,ワコールの成功を築いただけでなく,現代にも通じる多くの経営的示唆を残している.戦後,塚本が女性用下着という市場に注目したのは,当時の日本では未開拓分野だったからである.洋装文化が普及すれば,女性の体形を補正する下着の需要が急増すると直感し,いち早く事業展開を進めた.平和は,女性が美しくありたいという願望を謳歌できる時代と考えた背景には,米国市場の調査がある.塚本は,アメリカの女性下着産業が成熟した巨大市場であることを見抜き,同様の成功モデルを日本にも取り入れると同時に,世界市場への挑戦を決意した.

 塚本の女性観は,当時としては非常に先進的だった.女性をビジネスパートナーとして捉え,顧客ニーズを把握できる販売員やデザイナー,管理職として積極的に登用した.この方針は,キャリアウーマンという概念が希薄だった時代において画期的であり,企業文化に新たな風を吹き込んだ.女性の視点を事業戦略に反映したことは,ワコールの製品が常に時代のニーズに応え続けた理由の一つであった.塚本の事業哲学は,暗い戦争体験とも深く結びついている.太平洋戦争のインパール作戦での極限経験は,社会に貢献する事業を通じて日本を再建するという強い使命感を植え付けた.この使命感は,個人の利益を超えた社会的価値を追求する姿勢となり,ワコールのブランド価値を高める原動力と位置づけられた.

 塚本は松下幸之助の「250年計画」に触発され,長期的なビジョン「50年計画」を掲げ,持続可能な成長を目指した.計画を実行するためには大胆な行動もいとわなかった.商談を成立させるため,変装して取引先の社長に直談判したことさえある.ブラジャーは精巧なスイス時計のようなものという塚本の言葉に象徴されるように,品質に一切の妥協を許さなかった.素材選びや縫製の技術に徹底的にこだわることで,ワコールは世界中で高い評価を得るブランドに成長した.また,塚本は広告やマーケティングの重要性も認識していた.1960年代にはテレビ広告を活用し,下着が女性を美しく見せるメッセージを発信している.さらに,日本初のランジェリーファッションショーを開催し,下着をファッションの一部として認識させる革新的な試みを行っている.

 ピーター・ドラッカー(Peter Drucker)の「顧客創造」理念を実践し,ワコールは顧客のライフスタイルや価値観を提案するブランドを構築し,国際展開を進める際,各国の文化や市場特性に合わせた製品開発を重視した.アメリカではボリューム感を重視したデザイン,日本では自然なラインを強調したデザインを展開するなど,グローバルでありながらローカルにも根ざす戦略を実現させ,この柔軟性が,ワコールの国際的な成功を支えた.ワコールのブランド力は「三方よし」の理念を基盤に,戦後の未開拓市場を大胆に切り拓いた行動力,文化的壁を壊した柔軟な発想の産物である.下着をファッションの一部と位置づけた広告戦略,そして戦後の日本社会を「女性の美」を通じて再建しようとする革新的なビジョンに基づくものであった.

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原題: ブラジャーで天下をとった男―ワコール創業者 塚本幸一

著者: 北康利

ISBN: 4833425025

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