| これらの「小さな社会」は,人が他者とつながり,お互いの存在価値を認め,そこにいるのが当然であると認められた場所である.これが「包摂されること」であり,社会に包摂されることは,衣食住やその他もろもろの生活水準の保障のためだけに大切なのではなく,包摂されること自体が人間にとって非常に重要となる.「つながり」「役割」「居場所」から考える貧困問題の新しい入門書――. |
生活保護法における「最低生活基準」は,一般世帯の消費水準の約60%に設定されている.この基準は1984年から続く慣行であるが,国民的合意が現在でも維持されているかは疑わしい.絶対的な意味での「貧困」が依然として問題視される一方で,個人が社会的役割や居場所を失い,尊厳を侵される「社会的排除」の深刻さが増している.社会的排除という概念が欧州で注目された背景には,移民層や単身世帯が直面する経済的・社会的・政治的な排除の問題がある.1970年代に欧州通貨統合を構想した「ヴェルネ計画」の時代,この概念が登場したのは偶然ではない.
フランスの社会福祉局長ルネ・ルノワール(René Lenoir)は,『排除された人びと―10人に1人のフランス人』の中で,移民や低所得層を含むマイノリティの問題が「排除」として顕在化していることを指摘した.対応策として,連合加盟国間で社会的・経済的統合を目指す政策調整が行われ,包摂概念が応用されたことは歴史的意義を持つ.本書は,貧困と格差を相対的な観点から論じ,人々が社会とつながり,居場所を持つことの重要性を訴えている.排除の当事者が抱える心身の状況――いわゆるインペアメント――が,排除(エクスクルージョン)の問題と密接に関連している点を強調している.
ノッティンガム大学社会疫学者リチャード・ウィルキンソン(Richard Gerald Wilkinson)が唱える「格差極悪論」もまた,本書の論考に大きな影響を与えている.ウィルキンソンの研究は,所得格差の拡大が社会的信頼の低下や健康問題を悪化させることを示し,政策的な対応の必要性を裏付けるものであった.日本におけるデータを見ても,相対的貧困の現状は憂慮すべきものである.食料を買えなかった経験がある世帯は6世帯に1世帯,必要な衣類を買えなかった世帯は5世帯に1世帯に上る.
格差が大きい国や地域に住むと,格差の下方に転落することによる心理的打撃が大きく,格差の上の方に存在する人々は自分の社会的地位を守ろうと躍起になり,格差の下の方に存在する人は強い劣等感や自己肯定感の低下を感じることになる.人々は攻撃的になり,信頼感が損なわれ,差別が助長され,コミュニティや社会のつながりは弱くなる.強いストレスにさらされ続けた人々は,その結果として健康を害したり,死亡率さえも高くなったりする.これらの影響は,社会の底辺の人々のみならず,社会のどの階層の人々にも及ぶ
著者が「路上生活の先生」と呼ぶホームレスとの交流を通じて,問題意識が鮮烈に描き出されている点も注目に値する.歴史的に見ても,日英の優れた社会政策研究者――河上肇,大内兵衛,河合栄治郎,江口英一,リチャード・ティトマス(Richard Morris Titmuss)は,「人々の苦境への共感」を中心に据えた研究を展開してきた.ティトマスが福祉政策を贈与の倫理と結びつけ,互助の精神を中心に据えたように,共感の信念は本書の中でも明確に位置づけられている.理論的な考察にとどまらず,実際の政策や社会的取組みへと結びつく基盤形成を訴え,貧困と排除の背後にある人間の尊厳,社会連帯の復興を呼びかけるものだ.
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原題: 弱者の居場所がない社会―貧困・格差と社会的包摂
著者: 阿部彩
ISBN: 9784062881357
© 2011 講談社
