■「マラソン マン」ジョン・シュレシンジャー

マラソン マン [Blu-ray]

 マラソン選手アベベを崇拝する若者ベーブは兄ドクの死をきっかけに奇怪な事件に巻き込まれる.背後に存在するのは第二次大戦後に姿を隠していた元ナチス戦犯だった‥‥現代に潜むナチスの恐怖を超一流スタッフとキャストが,圧倒的なスリルとサスペンスで描く戦慄の巨編.

 レゴリー・ペック(Gregory Peck)は,“死の天使”の異名をとるナチ残党ヨーゼフ・メンゲレ(Josef Mengele)を模倣した殺人医師を,「ブラジルからきた少年」(1978)で威風堂々と演じた.狂信的な科学者を追いつめるナチ・ハンターの老人役は,名優ローレンス・オリヴィエ(Lord Laurence Olivier)だった.「罪を犯す前の少年を罪には問えんよ」――力なく首を振るオリヴィエの好々爺然とした気品は,作品の気骨になってペックとの対峙を迫真のものとしていた.

 「ブラジルからきた少年」製作の2年前,オリヴィエこそ本作でメンゲレの「狂態」を行っていた.メンゲレは,アウシュヴィッツ収容所で少なくとも200万人のユダヤ人を殺害し,子どもに生体実験を施した.パラグアイとブラジルに長らく潜伏し,「第四帝国」建設を終生諦めていなかった.本作で,オリヴィエは“白い天使”と呼ばれるナチの残党で歯科医師免許をもつゼルに扮する.その潜伏先はウルグアイであった.政治的・思想的傾倒もなく,ジョギング好きな平凡な大学院生が巻き込まれる陰謀のプロット.

 デンタルキーと鉗子を手に,"Is it safe?"と彼に迫りくる白い天使.日常風景から巻き込まれる非日常体験の中でも,マラソンフリークの青年ベーブが受ける拷問だけが突拍子もなくサディスティック.高音の電気ドリルが,耳をつんざくほど不快に響く.ベーブがコロンビア大学で専攻するのは,「米国での圧政の歴史」.マッカーシズム旋風で破滅させられた歴史学者の父親の汚名を雪ぎ,マラソンランナーとしても成功したい――ベーブの抱く執着は,ゼルのダイヤモンドにかける執念に付き合わされることで,不条理ゆえ社会的に抹殺された父への愛着と同根の怒りを呼び覚ます.

 物語終盤の精悍な顔つきは,ひたすらマラソンに勤しむ一般人のそれではなくなっている.ベーブが崇拝するのは,反体制的なアナーキズムの世相で,ローマ,東京と史上初の五輪2連勝を遂げたアベベ・ビキラ(Abebe Bikila).寡黙なランニング・スタイルで「走る哲人」と呼ばれた選手であった.護身術や拳銃の扱いにも心得がないベーブが,ゼルと対峙し拷問の報復を遂げるシーンは,「ブラジルからきた少年」でペックとオリヴィエの主客転倒をデジャヴさせる.対極の役回りを体現し,相対的に甲乙つけがたい名優の奮闘を実感できる両作である.

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原題: MARATHON MAN

監督: ジョン・シュレシンジャー

125分/アメリカ/1976年

© 1976 Paramount Pictures