
| 明治六年,お雇い外国人として来日したパリ大学法学部教授ボワソナアド.彼は,法律家の養成,憲法草案の起草,刑法典・治罪法典の編纂,拷問廃止の建白,民法典の編纂等々と,日本近代法の形成に巨大な足跡を残し,やがて有名な「法典論争」の中で「いけにえの羊」の役を背負わされて去った.その人と時代を究明する――. |
近代国家における五法典(民法,商法,民事訴訟法,刑法,刑事訴訟法)の成立を列強諸国から求められた明治政府は,中国法だけでなく西洋法の理論を法典に取り込む必要を感じていた.白羽の矢が立てられたのは,駐仏公使鮫島尚信の依頼で,日本人留学生に講義していたギュスターヴ・エミール・ボアソナード(Gustave Emile Boissonade de Fontarabie).法律顧問として刑法典の編纂に取り組んだ.
フランス法を基礎としながらも,ベルギー,ポルトガル,イタリア各国の刑法案を参考にして編纂されたボアソナードの刑法典は,ヨーロッパ刑法思想の法典化であると評価されている.自然法を重んじるボアソナードの立場は,家父長主義で親権を重視する日本の風潮と相容れないものだった.たとえば,明治期には「妻」に法律上の権利はなく,単独での法律行為も不可とされていた.時の司法卿大木喬任から信任を得て,罪刑法定主義や拷問禁止を立法化したボアソナードは,所有権は国家権力に相対して位置すると考えた.
穂積八束は「民法出デテ忠孝亡ブ」と論じ,ボアソナード案を批判.権利に個人主義を定着させようとしたボアソナードと,所有権は絶対的に戸主権にあるとした「反対派」の論争が,いわゆる「法典論争」となって激しく交わされた.日本の法典は,ヨーロッパの自然法思想に馴染まぬとした論拠は,「家-国家」の関係を「個人-国家」に置き換えることは「日本の美俗に反する」という,封建的な徳義主義だった.帝国議会で起草案の施行延期が決定,失意のうちに1895年ボアソナードは帰国した.
本書を,来日期間23年に及ぶ自然法原理主義者の挫折の記と読み取ってはならない.太政官法制局御用掛,元老院御用掛,外務省事務顧問などの役職についたボアソナードが日本の国粋主義を突き崩せなかったのは事実だが,洋の東西における法の継受及び導入過程に伴う「民族的な思考・文化様式」の葛藤と衝突の記録であり,優れた歴史研究なのである.直接に施行されることはなかったボアソナードの草案は,現行民法の物権や債権,財産権などには一定の影響を残しているとされ,日本近代法に大きく貢献した.
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原題: ボワソナアド―日本近代法の父
著者: 大久保泰甫
ISBN: 9784004200338
© 1977 岩波書店
